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フリードリヒ1世 (バーデン=バーデン辺境伯) : ウィキペディア日本語版 | フリードリヒ1世 (バーデン=バーデン辺境伯)[ふりーどりひ1せい]
フリードリヒ1世(Friedrich I, 1249年 - 1268年10月29日)は、バーデン=バーデン辺境伯(在位:1250年 - 1268年)。ツェーリンゲン家当主で、祖父はバーデン=バーデン辺境伯ヘルマン5世(ライン宮中伯ハインリヒ5世の婿)、父はヘルマン6世、母はオーストリア公レオポルト6世の孫娘ゲルトルート。叔父はルドルフ1世。 1246年、母方の大叔父のフリードリヒ2世が戦死し、バーベンベルク家は断絶した。父は母がバーベンベルク家の女子相続人だったことからオーストリア公国を請求したが1250年に25歳の若さで死去したため、フリードリヒ1世がバーデンを相続したが、幼いため叔父のルドルフ1世が共同統治者となった。 1267年、ホーエンシュタウフェン朝のシチリア王、エルサレム王のコッラディーノと共にイタリアに遠征したが、1268年8月23日、でシャルル・ダンジューに敗れ、トッレ・アストゥーラにて捕縛、幽閉された。やがてナポリに移され、10月29日、メルカート広場で死刑執行人のドメニコ・プンツォの手によって斬首された。処刑された場所には後年が建てられた。 バーデンは叔父のルドルフ1世が単独統治することになり、オーストリア公国はボヘミア王オタカル2世が獲得したが、オタカル2世は1278年に神聖ローマ皇帝ルドルフ1世に敗れて戦死、ハプスブルク家の家領となった。
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